おしかわ えみのブログ

スイスで暮らす日々のあれこれ

2012年 あけましておめでとうございます!

 あけましておめでとうございます!2012年がみなさまにとって素晴らしい年となりますよう!!

カウントダウンのシュヴィーツは雨。いつもは雪なのに。それでもあちこちの山から花火がどんどんあがって勢いがいい。
私とヘルムートは今年もシャルロットのうちに呼ばれていつものメンバーで無事新年が迎えられた。家の子供たちはそれそれのパーティにでかけている。

今年のシャルロットのメニュー。アベリティフに野菜やクラッカー。前菜にグレープフルーツ、マリガビの持ってきた野菜サラダ。
2種類のソースのスパゲッテイ。デザートは私の焼いてきたチーズケーキとエステが作ってきたチョコレートクリーム、マリアンの持ってきたビスケット。

ごくごくシンプルだけれどもうみんなクリスマスで散々食べているので、年越しそばのような感じ。私もソファーで芝居のせりふを暗記したり、寝たり好き勝手。もう10年以上もほぼこのメンバーで新年を迎えている。ありがたいことだ。ずっといっしょにいられて。シャルロットのうちはそこらじゅうにろうそくがともり、チベット、ネパール、インドの仏像が並び仏具が置かれている。前世私たちは同じ寺で修行していたのかもしれない。

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2011年3.11

 たくさんの予言はあった。9.11、アジアの大津波、地震。でも日本の3.11は地震、津波、原発事故の三つ巴だった。まさかここまでとは思っていなかった。日本が。

 3.11以前からあまりに周りで亡くなる人が多かったので、私は外にバリアを張っていた。見たり聞いたりしたことにすぐに反応しない膜。何があっても楽しいことに使う時間。などフィルターをかけて防御していたので、他の人より衝撃は少なかったと思う。地元の新聞のインタビューをうけて、その記事を書いてくれた友達の家へ行って初めて映像でみてびっくりした。

それまで1週間は文字だけで追っていたのだ。

こうしてはいられない。ではどうしたらいい?

とりあえず片っ端から募金活動、署名、バザーなどを手伝った。これは初期発動としては効果的だと思った。では5年,10年後はどうしたらいい?

3年前に始めた宮沢賢冶の朗読劇を再開して、賢治といっしょに東北を助け続けることにした。被害にあった人たちのことを忘れないためにも。

これを決心すると話はとんとん拍子だった、そもそもスイスに来たときに私はたった1冊の本として宮沢賢冶の全童話集を抱えてきて、いつかここシュヴィーツで上演しようと思っていたのだ。前回は日本語だけでドイツ語字幕は無く、スイス人をまだ対象にしていなかった。時は満ちた。この恐ろしいできごとを少しでもいいことに変えていくために。

今回のこの上演にコラボレイターとして共演してくださる、河村典子さんが郡山でコンサートをなさったときいたので今回の公演の利益の20%と寄付をそこに送るついでに、賢治劇を上演しましようか。と軽く言って地図で調べてあわてた。そこは放射能汚染のホットスポットになっていたのだ。

改めて日本と現地の状況にぎょっとした。そこ郡山に住んでいるお子さんも含めたが家族がいるのだ。私は国は責任を持って移住させる義務があると思っている.とりあえずは、放射能の汚染マップを観察して決めよう。

放射能汚染区域の農作物を食べて応援するという考え方をする人たちがいるが私は反対だ。東電もしくは政府が買い取り安全に破棄するべきだ。それと同時に医療関係のような本当に必要な人たちを除いては放射能汚染地域に人は行くべきではないと思う。日本はチェルノブイリの対応より遅れているのではないか。

被災地と放射能汚染区域をしっかり区別して応援するべきだ。汚染区域の人たちの移住を促進するためにも。

原子力をめぐる現金

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至福のお昼ご飯

 今日は1カ月に1度か2度しかない、1人でお昼ご飯を食べる日だ。朝目が覚めてベットの中でお昼になにを食べるか考えてしまった。

まず、鮭の酒糟漬け、2キロ漬けたキムチがそろそろ食べごろだ。無農薬のカリフォルニア米を炊いてなすの味噌汁、ひらたけとなすもオイル焼きにしてしょうが醤油で。たくあんも切って、あ。ついでに甘いたまご焼きも焼こう。自分ひとり分だと本当に張り切ってしまう。こういうとき作らない人もいるそうだ。まあもし歩いて5分のところにそばやでもあれば私もそうする。

が、しかし、だがしかし。外は吹雪のスイスだ。このキッチンこそが至福の場所。

粕漬けはあと3日ほど漬けておいて、塩ももっと利かせたほうがいい。酒糟を国際都市ジュネーブから取り寄せて、すり鉢の代わりにミキサーで混ぜて調味料を加えた。まだ、たらが4切れと鮭が一切れ漬けてある。ホタテも足そうかな。こんどもっといいお魚を買おう。

たらふく食べてお昼ねをしていたら息子が帰ってきた。風邪を引いて早引きしたそうだ。彼も少し寝ておきてきていつものようにおなかがすいたというので、
「(缶詰めの)ラヴィオリ食べる?」
と聞いたら、
「いや、キムチがいい」

と、どんぶりに残っていたキムチを指さす。かくして味噌汁とご飯の残りも添えて息子のおやつにもなったわけだ。彼は実はキムチ小僧なのだった。小さいころからキムチがあると茶碗をもって冷蔵庫の前へばりついていた。かくしてファビにも至福のおやつの時間が訪れたのだった。

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パフォーマンス

 土曜日は満月だったので私のお誕生日パーティをした。45,50などの大台は日本人の友人も呼ぶが普通のときはご近所のスイス人の友達だけを呼ぶ。これはこの1年結構お呼ばればかりしていてあまり呼べなかった人たちを一気に呼んで今年一年の借りを返したいという気持ちもある。別に呼ばれ続けていても文句を言う友達はいないのだけれど、なんとなく借りがあるような感じはあるのだ。

借りのないお向かいディエタはガールフレンドのトルゥディと真っ先に来てくれた。花瓶を買ってそこに花をさしてリボンを結んでプレゼントしてくれた。

食事のメニューは例年通りゴアカレー(海老のカレー)、ダル(リンズ豆のカレー)、今年はもう一品アルゴビ(ジャガイモとカリフラワーのカレー)。サラダはいつものように有機農家のマリガビがサラダソースまでつけて持ってきてくれる。ダルはいつものようにシャルロットがなべにいっぱい持ってきてくれる。だから20人近い来客でも準備にかかる時間は買い物と掃除を除けば4時間弱だ。

ディエタは酔っ払うとパフォーマンスをしだす。これは3年前に分かったのだけれど、私の家の台所の棚を全部開けてみて気に入ったざるをみつけてかぶって現れた。2度目はバスルームにあったヘアドライヤーを持ってきて「ペーター・フェーン」というジョークを言った。これはシュヴィーツの政治家の名前でフェーン(ドイツ語でヘアドライヤー)をかけている。ご当地ジョーク。

この夏に歯医者さんのウルスの家にいっしょに呼ばれたときは、トイレットペーバーのカバーを頭からかぶってトイレのブラシを持って出てきた。何のジョークだったかは忘れた。ウルスはすかさず写真を撮った。

そして昨日も宴たけなわにして、摩耶のプラスチックの王冠をバスルームで見つけてさっそく被って現れた、
「おおインドの女王!!」
とみんなではやし立てたら嬉しそうだった。これで終わったと油断していたら今度はガードローべから、スノーボードのヘルメットと日よけの帽子を見つけ出して2つを重ねて被り、電気あんかとそのコードを体に巻きつけて現れた。仕方ないのでソケットを捧げ持って居間に導いて、
「みなさま、冒険家がただいま冒険に出発いたします」
と紹介したらすごく嬉しそうだった。

ちなみに彼は6カ国語ほどを操り、世界有数の山に登る本当の冒険家でもある。そしてシュヴィーツ屈指の名家の御当主なので、ま、他の人よりは自由にパフォーマンスなんかもできるわけです。

しかし冒険家よ、使ったものはちゃんと元の場所に返しておくこと。ファビのヘルメットと私の庭用の帽子は、ガードローべに隣接する摩耶の洋服ダンスに入っていた。


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スイスのトットちゃんたち

 水曜日のお昼は摩耶と2人だけだったので、天ぷらうどんにした。海老は1人7センチぐらいのを1匹づつ。あとは野菜の掻き揚げ。だしをしっかりとったおいしいおつゆでまったりとお昼ごはん。この世の幸せーー。久しぶりに摩耶のしていることを聞いた。

「ママ、今月は10日間教えてるんだけどね。教室で1人の女の子が言ったの。『先生、授業とはあんまり関係ありませんが窓の外をサンタクロースが通っています』。次の瞬間生徒が全員窓のところに行って、誰も椅子に座っていないの」

おおお。黒柳徹子の『窓ぎわのトットちゃん』のお話のようだ。あれはたしかチンドン屋さんが通るんだった。スイスの子供たちは1人残らずトットちゃんらしいぞ、と思うと楽しくなった。

まったく勉強しているのを見たことがない摩耶は小学校のときから幼稚園の先生か小学校の1,2年の先生にんなると決めていたのだ。まったくぶれずに今先生になる勉強をしている。これは大量のトットちゃんを作るためかもしれない。そしてもし黒柳徹子さんが現代のスイスに生まれていたらごく普通のお母さんになったかもしれない。なにしろ全員トットちゃんらしいし、その話をする摩耶の嬉しそうなこと。

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